第3回「ヒュームとWE」研究会(2023年9月29日 9:00 – 10:00)

比較WE学グループのイベントとして、第三回「ヒュームとWE」研究会を開催しました。18世紀スコットランドの哲学者D.ヒュームの哲学に焦点を当て、「ヒュームにとって「よりよいWE」とは何か」を問う研究会です。

日時:2023年9月29日 9:00 – 10:00
発表者:渡邊一弘(京都大学)
会場:Zoom

タイトル:「根源的できなさ」から「気分次第の探究」へ

デイヴィッド・ヒュームは主著『人間本性論』において、自身の哲学的立場を「真の懐疑主義(true scepticism)」と呼んでいる。本発表の目的は、この真の懐疑主義をヒュームにとっての「生きられた哲学(a lived philosophy)」と捉え、その内実と意義をかれの哲学的見解から明らかにするだけでなく、その発想の源をかれ自身の生涯にも跡づけることである。

真の懐疑主義という立場は、ヒュームが全面的懐疑論の破壊的帰結を受け入れることで得心する「根源的できなさ」と呼ぶべき事態から導き出される。ここでの「できなさ」とは、真理への到達を保証する方法を探究に先立って定めたり、探究を経て自分が真理に到達したと知ることの不可能性である。そして人間は、自分や他人の信念の根拠に不安を抱くとき、その不安を排除し自らの知的探究をコントロールしようとする。このコントロール欲求、すなわち「はからい」の気持ちが過度に亢進することで、哲学は、極端な懐疑論か独断的な形而上学という、機能不全へと陥ってしまうのである。

しかし制御しようとすることをあきらめたとき、哲学的探求は不安定で見込みのないものになってしまわないだろうか。この問いに対するヒュームの答えを知るには「気分(temper / disposition)」という要素に着目する必要がある。本発表では、「真理と幸福というふたつの基準の相互調整」という観点を導入しつつ、真の懐疑主義の「気分次第の探求」という側面を明らかにしていきたい。ここで探求が気分次第であるとは、必ずしもその全てを気分任せにしてしまうことではない。そうではなく、探究者の気分という行為遂行上の条件に応じて、それにふさわしいスタイルで探究を進めていくということである。

哲学的探究の本性にかんするヒュームのこのような見方は、かれ自身の人生にその発想の源を求めることで、より的確に理解することができる。本発表ではそのことを、『人間知性研究』においてヒュームが「異なる哲学のスタイル」を「望ましい人生のあり方(人間存在の理性的・社交的・活動的側面の混合)」と関連づけて論じていることを導きの糸としつつ、若き日の書簡で吐露された哲学への希望と絶望、そして死去の数ヶ月前に書かれた『自伝(My Own Life)』における自己理解を読み解くことで明らかにしていく。

第3回開催レポート
渡邊 一弘

今回の報告は、「根源的できなさ」というSelf-as-WE概念導出上の重要テーゼをヒントに「真の懐疑主義」というヒュームの哲学的立場を特徴づけるところから始まり、哲学的探究に関するそのような立場がかれ自身の生き方と自己理解に表れていることを、ヒュームの主要な哲学的著作のみならず書簡や自伝からも跡づけようという試みであった。

出席者からは、真の懐疑主義における真理の身分や、学問的探究によって生み出される仮説ないし理論の一貫性に関するヒューム自身の見解について、発表者とはまた違った視点からの有益な指摘がなされた。さらに、本発表で取り上げたヒュームに関する伝記的事実を巡っても話題が広がり、テクストの解釈と歴史的背景を重ね合わせる思想史研究の醍醐味が感じられる議論の場となった。

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